You, like me, need only what was lost
「遅かったですね、伯約殿」
鍾会は低い声で呟くように言った。
機嫌が悪いのか、そういうふりなのか、傍にいた甥の鍾毅にはその時点では判別がつかない。
椅子に腰掛けるも、まっすぐには座っていない。肘をつきながら、いかにも機嫌悪そうに座る。
それでも見た目が美しい鍾会がやればそれなりに様には成るものではあるが。
黒目がちの瞳は半分伏せられたようで、眉間にはしわが寄り、口は少し尖っているような、そんな顔でも。
内面に、どのような歪な疵を持っていようと。
「これでも早いくらいです」
姜維が返す。後ろ手に縛られ、膝をついてもなお堂々とした態度は、鍾会のみならず、鍾毅ともう一人の甥、鍾ヨウも密かに感心した。
そして、この答えに、「正解!」と言いたくなった。
完璧だ。
鍾会はこのようなものの言い方が好きだ。これは、完璧。
解っていてやったならなかなかの策士、解らず自然にやったとしたら、多分鍾会とは気が合う。
どちらにしろ油断の出来ない人間だ。
だが、この堂々とした佇まいから出るこの声は、どんな策があろうと実直で真面目な一言に見えるし、実際そうなのだろう。話に聞く姜維というのはそういう男だ。
だからこそ、「正解」であり、「完璧」なのかもしれない。
鍾会は、伏せていた目を一度閉じると、ふっと軽く息を吐いて、姿勢を正した。
口は不機嫌そうに閉じられたまま。
それでも、気に入ったというのだけは解った。それで良かったと思う。
その後、2,3言話した後、鍾会は姜維の縄を切れといい、椅子をすすめ、何か話し始めた。妙にピリピリした和やかな空気という訳のわからないものを纏いながら。
だが、ここ数ヶ月向き合った敵とまるで長年の友のように話す姿は、なにか奇妙なものを感じずにはいられない。
「・・・お茶でも出す?」
「・・・そうしようかね? なんか長話になりそうだしね・・・」
鍾毅が鍾ヨウにこっそりと聞くと、彼も頷いた。
その時、いきなり鍾会がこちらを向き、笑顔で手招きした。
「これが私の子・・・と言っても既に亡くなった兄の子で養子なんですけど」
「よく似ておられますな・・・」
いきなりその場の主役になり、苦笑する二人。
鍾会に似ていると言われることは嬉しいのだが、素直に喜んでいいものかは微妙だった。
まず追いつけない。
どう厳しく見ても、彼の頭脳は魏のトップ5に入る。その彼に追いつくことなど並大抵ではない。本人の努力もあるのだろうが、持って生まれた才能も絶対にあると信じている。それに似てると言われても恥ずかしいほどの才能しかないと本人達は思っているため、妙に面はゆいのだ。
そして、もう一つ。彼の生活態度。特に悪いわけでもないのだが、40才にもなって女っ気無しというのは如何なものかと常々思っている。兄弟の他の叔父・鍾毓は「もうあの子ダメだから、君たちが養子に行ってくれるかな」と仏頂面で自分たちを鍾会に寄越した。十年間縁談を勧めた結果がこれか、と悔しがっていた覚えがある。彼の子も二人、養子になっている。
「叔父上は今からでも結婚されれば・・・」
「いや、別にいいよ。面倒ですし。そういう繋がりも鬱陶しいし」
と、いつも「面倒、鬱陶しい」の二言で終わらせられる。もっとも、一度酔ったときに「一人を好きでいる自信も無いし、かといってそこまでして縁のある者を簡単に追い出すというのもね」と言ったことから、きっと自分の出生前後のもめ事などが自然と鍾会を引かせているのかもしれない。
それはあくまで、想像だが。
だが、結局そこまで独身だと言いたいことを言う人は沢山いる。
その上実際司馬昭と抱き合ってるのなんか見た日には言葉も出ない。要はそれなのか?と。
鍾会に言わせれば「責任を伴わないいい関係ですよ」の一言で終わったが。
つまりはそういうところまで似てるの?という揶揄が入っているようで、何となくやはり面はゆい。
「似てますか?」
「ええ。とてもよく。とくにこちらの方が」
そう言って、鍾毅の方を見た。
「いや、私など、そんな・・・」
謙遜する鍾毅に、鍾会は笑いかける。
「私も一番私に似てると思うんですけどね、私と違ってとても真面目で品行方正なんですよ」
当然である。似たようなことをやれば荀勗に虐められ、衛カンにからかわれる。
だから、まっすぐに生きてみるしかないだけで。
そしてだからこそ、この叔父が少し羨ましいというのもあった。



その後、鍾会は姜維を引き連れて歩いている姿がよく見られた。
もちろん、魏軍内では口さがない噂が立ちまくり。
鍾会が略奪行為を禁じたことでただでさえ下級兵士の評判は良くないのに、その上先日まで敵だった彼と親しくしているのは腹立たしいのだろう。
しかも、ある時など城壁の物陰で姜維が鍾会の腕を掴んで、その唇に触れているのを見たときには度肝を抜かれた。
よりによって外ですか?!と。
意外なのは、姜維の方が腕を掴んでいたことだった。
「叔父上、少しは考えた方が・・・」
「・・・そうだね」
意見をしても笑顔でそう返されるだけで、態度を改めることは無かった。
また、二人でこそこそ何かをやらかそうとしているのも解ったのだが、それについては聞けなかった。
鍾会はよく言っていた。
「私と彼は同じなんだ」と。
年齢も育った環境も国も違う。何が同じなんだ、と。
「・・・さて。そのうち解る日が来ますよ」
鍾会はそれだけ言い、笑顔を浮かべた。
その晴れ晴れとしたような笑顔は、姜維にもどこか共通するところがあった。二人で目線を合わせて笑っているのを見ると、表向きはとても平和な友情のようにも見える。
だが、警鐘は鳴る。
この二人が共感しているのものは、決して平和なものではない。平和な場所に鍾会がいたこともなく、姜維だって無いだろう。
ようするに、彼等はそういうこととは無縁だということ。
だから、やがて反乱の計画をうちあけられると二人は思わず顔を見合わせた。
・・・この人たちは、司馬昭その人に何か、同じ共通感情があるのか?と。

「毅殿、どう思いますか?」
「・・・国では、子上殿が陛下を連れて長安まで出ると聞いた。・・・その上賈充が漢中に来る。・・・できるわけ、無いと思う」
「そんなことは、叔父上には解るはずですよね?」
二人は不安げな顔をする。
「下手をすれば一族郎党皆殺しですよ、我々は。そうなると、稚叔殿や他の子に迷惑を・・・」
「それは大丈夫ですよ」
声に振り向くと、鍾会が立っていた。
うわあ、やっちゃったよ・・・という顔をすると、彼は涼しげに笑っていった。
「もし士季が反乱を起こしても稚叔の子には累が及ばないようにしてやろう・・・子上様はそう言ったそうです」
「え?」
なんで? どうしてそんな事を? 誰が誰に?
二人は益々訳がわからなかった。
「兄上が直接子上様にその確約を貰ったそうですよ。そういう答えを引き出す為の話だとは思いますけど」
二人は黙り込む。
つまり、鍾毓は鍾会が何かすると解っていた。でも、止めるのではなくて保身に走ったと?
そういう人間だっただろうか?
「・・・何故ですか。何故、稚叔叔父上は止めなかったんですか?」
「さあ? それはいくら私でも兄上ではないですから、解りかねますけど・・・でも、兄上だって、何か思うところがあったのではないですか?」
それでも、父上の家を絶やすわけにはいかないから、そのようにしたんでしょうね、と。
或いは逆もあり。
司馬昭の方が最初から・・・・
「・・・それはまた、ぞっとするような話を・・・」
鍾毅は額に触れる。何時の間に滲んでいる汗。
司馬昭が「殺す」と言えば・・・否、殺すと言わなくても、彼の目にとまればどちらかしかないのだ。服従が死か。
鍾会は静かな笑顔のまま、目の前の椅子に座った。
「さて。君たちはどうする?・・・逃げるなら今ですよ。成都に入ったらすぐに決行するつもりですから」
「逃がすのですか?」
「ええ。知って逃げた、で言い訳は通りますから、賛同しかねるということでしたら・・・」
その時、入り口で音がした。
剣を抜く音。
なるほどね。退路も断つ訳か、と鍾毅は一人頷く。彼相手に大立ち回りは少し無理そうだ。
「・・・叔父上はそうでも伯約殿は違うみたいですよ・・・」
「・・・ですね。ではもう、答えは聞かずともよいですね?」
要するに、自分たちには協力か死か、それしか残ってないのだ。
鍾毅は別にそれでも良いと思った。叔父の養子である以上仕方がないと。
鍾ヨウも同じだった。
「・・・子上様はもう動いてますよ。・・・何故ですか?」
「どうしてでしょうねえ、なんかもうすぐ会えるよって手紙も来たけど、あれで脅してるつもりなのかもしれないですけどね。でも、反乱を起こされると思っているのは、思い当たる事があるからですよ」
「では、どうして伯約殿なんですか? 何故、蜀の人間を・・・」
鍾ヨウが尋ねる。
「言ったでしょう? 彼と私は同じなんだ」
「何が、同じなんですか?」
「それはね・・・・」

鍾会は、小さな声で言った。
その告白に、甥二人は深く頷いた。その深い意味と、哀しい言葉に。
姜維の何がそうなのかは知らない。だが、少なくとも鍾会の「それ」は知っている。
それが、同じだったのか。そして、どちらも原因は同じなのだろう。
狂気の向かう先が、敵であっても偶然にも一緒だった。
やり遂げられる勝算は無い。無い故の、凶行。

「そうですか」
「叔父上らしい・・・」
満足げに鍾会は笑った。
「何のことかは、解ったんだ」
「それは勿論です。・・・あの方と、同じ末路を選ばれたということだけは解ります」
二人の真摯な目に、鍾会は満足げに頷いた。
あの方・・・司馬昭を討とうとして亡くなった、前皇帝・・・
鍾会は、彼のお気に入りでもあった。
「なんの償いにもならないけれど、私の中では意味がある。それを無駄だとは思わない」
だから、首を刎ねられるまでやってやるつもりですよと話を締めくくり、立ち上がった。
「成都についたら忙しくなります。ゆっくりお休みなさい」
そう言って、そこを出て行く。
あまりにも静かに話す鍾会に、まるでもうその先を知っているかのような、覚悟を感じる。
勝算など、多分最初から無いのだ。それでも道連れにするつもりなのだ。
ある意味、殉死。そして自分たちは、生け贄であり、副葬品。皇帝陛下相手に失礼はできないということ。
「・・・毅は? どうするの?」
「生き残ったら子上様に首を刎ねさせてやってもいいかな・・・」
「・・・君が一番、彼に似たかもね?」
「優秀なところが似たかったよ」
そう言って、笑う。成都が人生の終着点か、或いは、その先があるか、想像しながら。


そして


場所は変わって、洛陽。
既に春は終わり、洛陽ですら暖かい日が続いていた。
司馬昭は、目の前で膝をつき頭を伏せている三人を見て、軽くため息をつく。
・・・ほんと、荀勗もそうだけど、士季の甥って士季になんか似た変人揃いだよな・・・
鍾毅と、人質であった鍾辿と、鍾峻。いずれも鍾会の養い子。
傷だらけで後ろ手に縛られている鍾毅は、よくあの成都で殺されなかったものだと思う。
鍾会に似ているというだけで、十分に理由はあったのに。
長い髪がうつむき加減の顔にかかり、表情は見えない。でも、引き結んだ口元がやはり似ている気がする。
「・・・一つ、聞かせてくれ。士季は一度手紙に、伯約殿は私と同じです、そう書いてきたときがあった。その意味を」
司馬昭の問いに、甥はしばらく顔を伏せていた。
だが、三人とも誰からともなく視線をあわせ、何かを目配せする。
「どうした? わからないならそれでも良い」
司馬昭の声に、意を決したように鍾毅が、顔を上げて、言った。

・・・・・・どちらもなくしたものしか必要としていない」

そして、目を伏せた。涙が落ちる。あのときは泣けなかった、誰も泣いてはいけなかった。
そう、知っている。その「なくしたもの」が少なくとも叔父にとって何を意味するか。
あのときも思いだした。今、「なくしたもの」について触れられる人間は一人もいない。
あの人の命であり、そして、彼の中の司馬昭への信頼も、全て無くなったのだ。解っていたはずだ。
さっさと投獄して首を刎ねればいい、鍾毅はそう思いながら唇を噛み、涙をこぼす。
その様子に、司馬昭は僅かに目を見開いた。
予想外の返答だったのか、怒りか、驚きか、それは良くわからないけれど。
不気味な沈黙が続く。
しばらく後、しぼりだすような声で、司馬昭は言った。
「そうか。・・・なくしたもの・・なるほど・・・君は稚叔より鋭く、士季より柔らかく私を刺すのだな」
司馬昭はそこまでいうと、立ち上がった。
「峻と辿は鍾毓の子だ。・・・だから許す。・・・だが、士季と共に死んだヨウの子と毅のみ刑に服せ」
「それは・・・・!!」
「・・・家を断絶させないためだ。お前達の祖先のおかげだ。感謝をしろ」
それを恩に感じるなら、二度とそのような真似をするなということか。或いは、本物の温情か。
だが、彼等は不安になる。鍾毅は、一番似ている。鍾会に。
どこで、どのような刑に服させるつもりなのか。怖くて聞けない。
鍾辿と鍾峻は青い顔で鍾毅を見る。だが、彼は大丈夫だよとでも言うように、血の滲んだ唇をゆがめた。
「なくしたものしか、必要としていない、か・・・」
司馬昭は部屋を出て行くときに、呟いた。
低く、昏い、呪詛でも唱えるような声で。
「私は違う」と。



おわり(2010.01.18

あとがき:命日もの。鍾会にスポット。細かい後書きは1/18日記にて。→
日記パスワードは「shiki」です。
姜維側の話は3/3に出来れば出る。出来なければ出ない!できれば出来て欲しい!

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